8月6日の祈り

 

今年も、またこの日が巡ってきました。

8月6日の午前8時15分、

広島では「平和の鐘」の音と共に、

どこからともなくサイレンの音が響き渡ります。

その音に、そっと目を閉じ祈りながら、

80年前に思いを馳せずにはいられません。

 

折しも80年という節目の年、

世界の情勢も一段と混迷を極めてきている中で、

核に関する議論も一層盛んに、

あるいはいっそ過激になってきているようにさえ感じます。

 

もちろん、議論をするのは大事なことですし、

過激な主張も、それだけの思いが基にあってのことでしょう。

 

ただ、核の話に限らず、近年あらゆる面で人々から、

ある大事な能力が失われている気がしてなりません。

それは、『想像力』です。

このことを実行すれば、どんな結果になるだろうか。

自分がされる側だとしたら、どう感じるだろうか。

一人の人間としての相手は、どんな思いを持っているのだろうか。

どんな思いをして、今ここに居るのだろうか。

このまま進めば、私たちはどこに辿り着くのだろうか。

・・・

 

いや、その力は決して失われているわけではなく、

ただ十分に発揮できない状態にされているだけに違いありません。

たとえば物質的あるいは精神的に、

他人のことを顧みる余裕のない状況に置かれているからかもしれません。

しかし、その最たる原因は、他人のことを理解できる、

あるいは理解している、と思い込んでいることではないでしょうか。

 

他人のことは、完全には理解できなくて当たり前です。

だって、一人として自分と全く同じ人間などいませんし、

本当に相手を完全に理解したのかどうかを証明する術がありません。

たとえ、相手が「すごい、完全に理解してくれてる」と言ったとしても、

それが本心かどうかも分からないんですから。

 

でも、だからこそ対話をするんです。

対話とは直接的な会話だけではありません。

行動を通して心で対話することもありますし、

そうやって対話をして少しでも相手をよく知ろうとします。

そして、それを素に想像するんです。

少しでも相手を知って、想像して、また知って・・・

それを繰り返して理解に近付こうとします。

その行いこそが『思いやり』と呼ばれるものなのかもしれません。

 

私たち人間は単体で生き抜けるほど強い生物ではありません。

今でこそ地球上で我が物顔に振る舞っていますが、

それは弱い個々が時には争いながらも、

あるいは歴史のつながりの中で時空を越えて、

協力してくることができたからです。

そのためには、お互いを理解しようとする意識は欠かせませんでした。

 

こんな混迷を極める時代だからこそ、

今一度、『思いやり』という名の想像力を

多くの人が思いだしてくれることを願いつつ、

昨日の夜も静かに暮れていきました。

 

 

投稿者プロフィール

林 和(はやし やまと)
林 和(はやし やまと)くれたけ心理相談室(広島支部)心理カウンセラー
広島市全域で対面カウンセリングに対応いたします。またオンラインカウンセリングは全国(全世界)より承ります。

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