『運』
『運』っていうのも不思議なものですね。
みんな当たり前に、
運というものが存在する前提で生きているように感じるんですが、
それ自体は目に見えないし、
科学的にはっきりと根拠が証明されているわけでもないですよね。
ちなみに私は、小学生の時に地元の子ども会の集まりで、
お楽しみくじを7回連続でハズレ引いてから、
自分には「くじ運」は無いものと思うようになりました。
当たった人から抜けていくので、
最後の2、3回は消化試合のごとく、
みんなが固唾をのんで見守る中で、
一人くじを引き続ける切なさときたら・・・
まあ、今となっては懐かしく語れる思い出でもあります。
さて、学問的に関連があるとするなら、まず確率論が頭に浮かぶでしょうか。
それ以外にも、統計学、経済学、生物学など、
様々な分野で真面目に運をテーマに研究されている方々も多くいらっしゃいますね。
ただ、やはりというか、
特に目立つのは心理学の範疇に入るような研究なんですよね。
そのあたりの文献を読んでみるとそのほとんどが、
物事の捉え方やそれに基づく行動の仕方が重要で、
それによって運がいい・悪いも分かれてくる、
といった内容に集約されてくるように感じます。
(ものすごく大ざっぱなまとめですが)
そういった研究から得られた知見を活かして、
「運が良くなる」ように行動してみるのもいいことだと思いますし、
実際にそうやってご自身の理想を実現されていった方も多くいらっしゃいますね。
(気になる方は、リチャード・ワイズマン氏の著書などを読んでみられてもいいかもしれませんね)
一方で私が気になってしまうのは、
そういった既存の研究では納得のいく説明がしきれない場面もあるということです。
たとえば事件、事故、災害などで、
本人たちの行動にはまったく非がないにも関わらず、
紙一重で無事か、被害に遭われるかが分かれてしまったりすることがあると思います。
そこで被害に遭われてしまった方自身や残された方々には、
単に「運が悪かった」だけでは片付けられない気持ちがあるでしょうし、
かといって少なくとも現存する「運」の研究だけでは、
どうして自分が(あの人が)こんな目に遭わなければならないのか、
を説明しきれないことで、さらにやりきれない気持ちになるかもしれない・・・。
そういった状況で「運」について考えを巡らせる方もいるであろうことにも、
ちゃんと思いを馳せておきたい、と私は思うんです。
その上で、
そういったやりきれない思いを抱えて生きていらっしゃる方にも、
しっかり向き合わせていただきたいと思っています。
そして時間はかかるかもしれませんが、いつの日か、
おだやかな心でその現実を受け容れられる時がくると信じています。
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