心理カウンセラー 林 和 (はやしやまと)のご紹介
【資格】
・精神保健福祉士
・公認心理師
【好きなもの・こと】
・車全般 ・コーヒー ・ミステリ ・雑学 ・こまかい作業
・静かな音楽 ・神社仏閣 ・空を見ること
わたしの歴史
10代まで | 1972年、愛媛県に長男として生まれます。 とても内向的な少年で、学校の休憩時間もいつも教室の後ろの学級文庫の前で本を読むのが大好きでした。ところが小4の時の担任の先生に、自分でも気付いていなかった外向的な部分を引き出していただき、クラス委員を務めたり、全校行事でステージに立ったりする機会などもだんだんと増えていきました。 (※どうも恥ずかしがり屋の目立ちたがり屋という、めんどくさい気質があるようです) |
20代のころ | 九州の大学へ進学します。 自由を謳歌する一方で、まだ明確でない自分の将来や、元々苦手さを感じていたコミュニケーションについて、だんだんと路頭に迷い始めます。そんな時、学生相談室で、心理学講座を担当されていた先生に自分の話をしっかり受け止めていただいたり、新たな視点を与えていただく中で、なんだか心がほぐれるのを感じました。と同時に、心理学への興味が一気に高まります。そこで密かに人の心のしくみについて自学自習を始め、経営学科を卒業後、思いあまって広島の大学の心理学科の研究生とならせていただきました。 (※どうも基本的には慎重派なのに、決めてしまうと突っ走る気質があるようです) |
30代のころ | ①ミレニアムに浮かれる世間を前に、逆に、これ以上親に心配かけずにちゃんと就職しなければ、と現実に立ち返ります。 (※どうも人と違うことをしたがる、あまのじゃくな気質があるようです) ずっと得意とする国語力を活かせること、なぜか小さい子に懐かれやすいことなどから塾の講師を選びます。そして35歳の節目を前に、妻から何気なく精神保健福祉士という資格の存在を教えてもらって以降、「やっぱり人の心に関わる仕事がしたい」との思いをどんどん募らせていきます。ありがたいことに塾は非常勤講師の立場にならせていただくことができ、昼は専門学生、夜は先生という大変ながらも貴重な体験の1年を経て、無事に精神保健福祉士の資格を取得できました。 |
②最初に就職したのは、一日に140名弱が利用するデイナイトケアを抱える精神科のクリニックでした。 就職して1年後に精神保健福祉士の先輩方が辞められることになり、2年目からは、実践を積みつつ、勉強しつつ、専門職の責任者としての役割も果たしつつと、結構毎日がいっぱいいっぱいだった記憶があります。また、高齢で何十年も療養されている方も多く、突然死や、時には自死にも直面しました。そんな中で、意識的にも無意識的にも頑張り過ぎていた部分があったのかもしれません。 (※どうも何ごとも完璧に仕上げないと気が済まない、やっかいな気質があるようです) |
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40代から | 就職して5~6年が過ぎた頃、いわゆる燃え尽き症候群におちいってしまったのだと思われます。 うつを発症してしまい、何度かの休職や再発を経ながら、数年をかけて何とか病気と折り合いをつけられるようになりました。でも、そこで身をもって体験し学んだことで、相談に来られる方にも、そして自分自身にも、また新たな次元で関われるようになったと感じています。そして現在も別の医療法人で、主に精神障害をお持ちの方の相談支援に携わらせていただいております。 |
カウンセラーへの道のり
もの心ついた頃から極度の人見知りがあった私は、根本的になるべく人に頼らず自分で何とかしようとする癖がありました。それでも振り返ってみると、大小に関わらずターニングポイントといえるところでは、必ず新たな視点を与えてくれる「誰か」の存在がありました。
そして新たな視点を与えてもらう度に、自分自身について考える機会が増え、それは自分の「心」について考えることに他なりませんでしたから、人の心の仕組みそのものについてもどんどん惹かれていきます。その裏には、自分がずっと抱えていた対人関係のコンプレックスの秘密を知りたいという強い動機もあったと思います。
そうして、だんだんと人の心の仕組みを理解してくるにつれ、自分に当てはめてみると腑に落ちることも多く、少しずつ自分自身を認められるようになり、心が軽くなっていった気がします。ずっと手探りでやってきましたので亀の歩みではあったかもしれませんが、その過程はカウンセリングの過程に通じるものがあったと感じています。
そうであれば、その過程をより効率良く、より効果的に多くの方に適用できるように整理し直して、さらに精神保健福祉士として15年間さまざまな思いをお聴きしてきた知識と経験を加味すれば、同じようにどこか生きづらさを抱えながら頑張っていらっしゃる方々の心が少しでも楽になるようにお役立ちすることもできるのではないか、と考えるようになりました。
そうやって今度は私が、あなたにとっての新たな視点をくれる「誰か」として、しばしあなたの人生に伴走させていただけるなら、こんなありがたいことはないなぁ、と思うのです。